SANOGRAPHIX Blog

京都を拠点に活動する佐野章核 (sanographix) の個人ブログ。日記、webデザイン、読書、写真など。

感涙のシェンムー3ファーストインプレ

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もし5年前に戻り、自分に「来年にシェンムーの新作が発表、5年後の2019年には『シェンムー3』を普通にプレイしている」と聞かせても、到底信じてもらえないだろう。いまでも夢を見ているような気持ちでいる。

シェンムーIII - リテールDay1エディション - PS4

シェンムーIII - リテールDay1エディション - PS4

一般的なシェンムーファン同様、僕もこれまで遊んだゲームのなかではシェンムーは別格のような扱いでいる。また、プレイした当時小学生〜中学生だったこともあり人格形成に相当な影響を与えていると思われる。その新作が遂に遊べるのだ。

正直に告白してしまうと、当初は全く期待していなかった。なぜなら『2』以降音沙汰がなさすぎて「シェンムーは未完の大作である」と頭に刷り込まれてしまい、気持ちの整理がとうの昔についてしまっていたためだ。また、他IPでのリバイバルだかリブートだかのダメな例ばかりが浮かんでしまい、期待したらしただけ裏切られるんじゃないかという不安、ギネスに載るほど金のかかったゲームをKickstarterで支援して本当にうまくいくのか、などなどすべてが信じられなかった。だから、どんなゲームになろうとも、たとえ完成しなくても、応援の気持ちだけでKickstartarで支援した。

そうこうするうちHD化された『シェンムーI&II』が発売、『3』のリリース日も発表されるなどいよいよ機運が高まってきた。僕はといえば取り急ぎグラボを新調して備え、また事前情報をほぼなにも調べず『シェンムーI&II』もスルーすることで18年ぶりの涼や莎花との再開を待ち構えていた。

かくしてプレイをはじめた『3』は思ったよりシェンムーのままだった。前作のエンディングの直後から物語が始まる。

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そうそうこのシーンで打ち切りエンドだったんだよ

殺された父の手がかりを追って桂林へ辿り着くまでが前作。その手がかりを求め村へ繰り出すのだが、すぐさまシェンムー名物のガチャガチャ(物理)に遭遇。久々のガチャに心躍るもチュートリアル中で近づくことすらできず生殺しを味わう。

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ガチャを!!!やらせて!!!くれ!!!頼む!!!!!!

物語を進めるとすぐ「落とし玉」「上でやったり」等なつかしのギャンブルを遊べるようになるが、最序盤は金がなさすぎて大したアクティビティはできない。今作では時間経過で体力がみるみる減っていくため、定期的に食べものを買って食べないといけない。最も回復効果の高い食料がニンニクであるため、薪割りバイトで稼いだなけなしの金がニンニクに溶けていく

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18年越しにやってることが薪割りとニンニクのドカ食いって渋すぎやしないか

会話の端々からシェンムーを感じる

「ああこれはちゃんとシェンムーだ」と本格的に実感したのは、村の住民と会話したとき。『2』当時に存在しないゲームメカニクスは実装しない方針なのか、クエストマーカーなど当然存在しない。道を尋ねるときは巷の住人に話しかけるのがシェンムー作法だが、これはゲームの実装的には「進行状況に応じた膨大な会話パターンを全NPCが持っている」ことを意味する。今作もちゃんとフルボイスで住民たちが道案内と至極どうでもいい世間話をきっちり披露してくれる。そこに不思議なテンポで「はぁ」とか「そうですか」とか、とってつけたような返事をする芭月涼が組み合わさり、これ以上ないほどシェンムー独特のノリが令和の時代に蘇っている。

あと芭月涼の声、前作と雰囲気そのままでめちゃくちゃ芭月涼で感動する。僕の中では松風雅也氏は芭月涼かおはスタ番長という認識でいる。

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莎花(今作ではCV照井春佳)と話すうちにお互いのことを教えあう仲に。ちなみに朝方は若干塩対応で夜のリラックスタイムになると世間話に応じてくれるのが現実味ある

無駄なものに囲まれて

先に書いた「住民フルボイス」は、現実的には毎度全NPCに話しかけるわけではないので大半のセリフは聴くことがない。セリフは一例で、シェンムーは「なんの意味もなく開けられる戸棚」や、「ステータス上昇とかのメリットが一切ない自販機でのジュース購入(過去作で存在。今作では食べ物で体力回復するので意味が生まれてしまった)」のように、本筋と無関係なものがあまりにも多い。

Kickstartarで支援したとき、スタンダードなプレッジ額が$29と低かったこともあり、こうした無駄を削られてしまうのではないかと心配していた。が、むしろここを削ってしまえばアイデンティティが揺らぐわけで、どうやら杞憂に終わったらしい。膨大な無駄なものと、それらのなかから何を選び関わっていくかプレイヤーが決められる豊かさが、シェンムーをシェンムーたらしめているように思う。

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今作の改善点「開けられる戸に目印がついた」。安心してください、全部開けられますよ

びっくりするほどマイペース

発売当時の作品としてみればシェンムーは野心的で革新的なタイトルだったが、ゲームプレイの手触りが過去作からほぼ変わらない今作を遊ぶと逆に懐かしく感じる。よく映画でも古い作品はスローテンポといわれるのに似ていて、ファストトラベルは限られたタイミングでしか使えない、会話のスキップ不可(既読はスキップできるようだが会話パターンが膨大なため恩恵が少ない)など、現代のゲームの影響をほとんど受けておらず驚くほどのんびりしている。ある意味ほんとのガラパゴスゲームと言える。平気で「いまは気が乗らないから夜に出直してこい」とか言ってくる人(夜までなにかしらで暇を潰す必要がある)、15時で店じまいする釣具屋など、軽くイラッとするほどマイペースな住人揃いだ。でもそれでいい。シェンムーを通じて面白いゲームではなく面白い旅がしたいのであって、旅に多少の苦労はつきものだからだ。

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暇なときにやる馬歩修行。シェンムー過去作でも地味の極みのような修行を幾度も味わってきたが、これも相当に地味。体力アップ目指してコツコツ続けるしかない

いま10時間くらいプレイしたはずで、まだ最初の村から出られてない。その間やったことといえば、薪割りバイトで日銭を稼ぎ余った金をすべてガチャに突っ込む極貧生活を送っていたが、占い師の色占い結果をもとに花鳥風月をMAXベットで賭けるテクを身につけてからは毎晩占いに通うスピリチュアルギャンブラーに転身した。ガチャは未だコンプできてない。

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何年経とうが変わらぬ味、変わったのはUnreal Engineだけと断言できるほどシェンムーの精神が受け継がれていて天にも昇る心地でいる。が、新規に遊ぶプレイヤーがいたとして果たしてどこまで面白いのかまったく判断ができない。