MEMOGRAPHIX

sanographixの個人ブログ。日記、webデザイン、読書、写真など。

書いてこなかったこと

ここみたいな全公開のブログにおいて、自信のないことや単に下手なことは書きづらい認識がある。プライムビデオでバック・トゥ・ザ・フューチャー PART1 を見ていたとき、マーティの父もそんなことを言っていた。人に評価されてダメと言われたらどうしようというやつ(コソコソSF小説を書いていたシーン)。

稀に、(初めて何か挑戦してみたときの様子など)下手な状態を全公開にできる人がいる。そういう人ほど上達が速かったりするのだろうが、やっぱり稀だと思う。僕にはそんなメンタルはない。恥をかきたくないから、ある程度自信がつくまではこっそり練習するとか、友達だけに見せたりする。

日記を書いて長いが、いままでにそうやって書いてこなかった話題がかなりある。むしろ、書いてこなかった話題のほうが多い。たとえば、音楽の話をほとんど書かない。理由は簡単で、詳しくないから(=語る語彙を持っていないから)だ。他にも、あまりにプライベートなことも書いてない。その「あまりに」がどのレベルでNGなのかは無意識の判断であるにもかかわらず、境界線みたいなものはかなりはっきり心の内にある。

その自分レギュレーションは、昔と今とで内容が変化してきたことも実感している。下品な話で恐縮だけど、いま自分のインターネットネームで下ネタを発言することはかなり抵抗がある。昔はそこまで抵抗なかったと思う。これの理由は、単に気が変わった、気分の問題だとしか言えない。なお補足すると、別名義やオフラインな場では引き続き特に抵抗はない。話が逸れた。

話を戻すと、日常を取り巻く話題からかなりフィルタリングしたものだけが世に公開できる。普通に生活していると話題は尽きないけど、そのなかで世に公開できる話題は多くない。というか、まったく無くて当たり前であるともいえる。

現代においては、友達にのみ公開できるサービス諸々を使えば、かなりの話題を掬い上げることができる。しかしそうではなくて、オープンな場にブログ(なり日記なり)を公開しておくことの意義を、僕はいままで何度も強調してきた。

「公開情報と限定公開情報を使い分ける」ことも考えられそうだが、実際は激しく高度なテクで、相当意識的にならない限りおおかた限定公開情報だけに収束していく。そうやって更新が止まったブログを何度も見た。

だから、公開する意識を強く持たないといけない。そうはいっても、公開できる情報など多くの場合持ち合わせていない。なぜそこまでして強い意思を持たないといけないのか、動機も説明しにくい。こうしたジレンマを抱えている。前から思ってたけど最近特にそう思う。なんとなく寂しくも思う。