今の自分のしていることが、3年前・5年前なら考えられなかっただろうなと感じることがある。飽きっぽいこともあって、大抵のことは長続きしない。
それによって新たな趣味を得たりとか、ポジティブな変化もある。それは別によくて、引っかかってるのは、これが本当に自分が望んだことだったんだろうかと感じること。
具体的には、Twitterを見なくなって数年過ぎたこと。5年前には考えられなかったことだ。なんとなく息苦しくなってタイムラインを見る習慣をやめてみるかと思って以来、そのまま時が過ぎて今に至る。なにかきっかけがあったということでもなくて、いや嘘で、僕は嫉妬するので良いものを過剰摂取すると落ち込む。で、心の狭さに更に落ち込む連鎖が完成してしまう。お恥ずかしい話だけど息苦しさとはそういうことだった。
身軽になった気がする一方、いままで散々周囲に良くしてもらったり救われたりしたのも事実なわけで、その関係をフェードアウトしてしまうのは勿体無いんじゃないかという後ろめたさも正直ある。もっとも、人と会えば楽しく過ごせてるし、他人と関わる事自体は、積極的ではないものの好きである。そんなこともあって、Twitterに関しては正しかったとも間違ってたとも言い難い状況が続いている。
飽きっぽさは個人活動にも及んでいる。「活動がノってきて、いざ仕事なんかがやってきたときには既にそこまで熱意がない」ということがまれによくある。矛盾した気持ちを抱えて断りのメールを書いている。全体的に決断に自信がない。