15年以上ブログを書いているので、自分がその時々で考えていたことのスナップショットは「見たらわかる」という状態になっている。
そこからわかることは、自分の考えがいかに一貫しておらず、時間経過で変わるものか、だ。
しばらく前まで、健康に無頓着だった時期があった。幸いなことに無頓着でも困らなかったので、その価値観でいられた。ところが、そんな暮らし方は長くは続かない。無頓着なことで被るデメリットが無視できなくなる出来事が連続して起こった。要するに、痛い目を見たのだ。薄々感じていたけど自分はタフではない、と自覚した出来事だった。
現在の暮らしが健康かと問われるとそうでもない気がするが、「この一線を超えたら痛い目を見る」のボーダーが見えるようになり、破滅的な道を避けて通るようになった。食事も変えた。これもひとつの価値観の変化だったように思う。
昔の自分の書いた文章を読むと「これ書いたの誰だよ」と感じることがある(皆さんもやってみてほしい)。文体が変わっているのもあるけど、それよりも考え方自体が今と違うので、素直に受け入れ難いのだ。
これらのことから、少なくとも僕はこう考えている。自分のなかで絶対変わらない思いというものは存在せず、あったとしてもせいぜい10年くらいじゃないか。どんなに「こうあるべき」と強く思おうが、同時に「今そう思っているだけでしょ」という疑念を晴らせない。
いま自分が何に凝って、どう考えようが、それは未来永劫ではない。ブログというかたちで残していたから気づけたので、ラッキーだったと思う。
変わるなかにある、そんなに変わらないことに気づいていけばいいのかなと思っている。
去年、Kitekureという、DJイベント告知サイトを簡単に作れるツールを作った。これまでにも、そのようなものを趣味で作り続けている。こういうのとかこういうのとか、あとこういうの。
かれこれ10年やっているので、こういうのが多分自分は好きなんだろう。「こういうの」を総称して「特定の人のための実用品」と呼んでいる。僕の作っているものはテーマとかテンプレートとか呼ばれるものだけど、テンプレート自体にはそこまで興味がない。だから、回りくどい呼び方になってしまう。
これを書きながら、自分は
自分の作ってるものがギアなのか? という問いはあるものの、ギア的なものへの興味について、思い当たる節がある。
2012年、最初は軽い気持ちで何も期待せずIllustfolioを作り始めた*1。そのうち「使ってみた」というアーティストやイラストレーターの方が現れはじめた。それどころか、思った以上に有難がって使ってくれる反応を何回も目にしてきた。現在Illustfolioシリーズは、観測できる範囲で30,000以上のサイトで利用されている。去年作ったKitekureも、いくつかのイベント告知に使われている様子を観測している。プロ・アマ問わず素晴らしい才能をもつ方々の役に立つ方法を見つけたと思い、その魅力に取り憑かれてしまったのだ。
自分の作っているものを説明するとき、今はこう考えている。次に同じ話題をするときには考えが変わってるかもしれないし、特に変わってないかもしれない。
*1:実際最初のプロダクトは3日程度で作った記憶がある